サイトアイコン よこもっこのエンジョイライフ

レーサーのパッションとその生き方

 華やかな世界のレーシングドライバーたち。しかし、そこまでたどり着くまでに、多くの困難を克服して、トップドライバーにまでたどり着いた人々も少なくありません。佐藤琢磨のように、その研究熱心さと行動力によって自らの道を切り開いたドライバー(詳しくはこちら)、そして、多大なる借金を抱えながらレース活動を行い、プロとなることができたドライバーなどをご紹介します。

片山右京(F1ドライバー)

 レース活動を始めた頃は、筑波サーキット近くのガレージで働きながらレースを続け、鈴鹿サーキットに移った際は、ホームレス生活を続けていたことが有名です。その後、レースで活躍し、フランスのレーシングスクールでは、元F1ドライバーのアラン・プロストのが記録したコースレコードを破るなど「神風右京」と呼ばれました。しかし、その後日本に帰って来た頃には多額の借金を抱えており、レース活動を続けることが困難状況に陥ります。しかし、出会ったスポンサーに「必ずF1ドライバーになる」と宣言し、多額の支援を受け、レース活動を続けられます。そしてついに、有言実行、F1ドライバーにまで上り詰めます。

 片山右京選手は、その童顔から気弱で虚弱なイメージがありますが、レースを始めた頃はレースを邪魔をするようなドライバーを恫喝していたそうです。また、スポーツニュースでは、片手腕立て伏せを披露し、F1ドライバーのフィジカルの強さを証明しています。彼のプロドライバーになる強い意志を象徴するエピソードと思います。

フォーミュラーカーのレース

服部尚貴(F1ドライバー、CART参戦)

 一般的にはあまり知られていないドライバーですが、日本のトップカテゴリーで活躍し、F1に2回スポット参戦しています。(いずれも予備予選敗退)その後、アメリカのトップカテゴリーであるCARTレースに参戦します。彼も、スターレットというトヨタのコンパクトカーでダートトライアルという競技からのレース活動を開始し、アマチュアドライバーで数千万の借金を抱え「プロにならなかったらヤバかった」と回想しています。

箱車によるドリフト走行

土屋圭市(走り屋から世界のトップドライバーへ)

 峠の走り屋からトップドライバーにまで上り詰めたドライバーで、ドリフト・キングとも呼ばれ、車好きの間では絶大な人気を誇ります。箱車(市販車ベース)のレースにこだわり、フォーミュラーカーを拒否するなど尖った生き方もファンを魅了しています。そのため、F1などでは活躍していません。彼のレースシーンのクライマックスは何といっても、世界三大レースの一つであるル・マン24時間レースでの活躍です。(クラス優勝1回、総合2位1回、雨の中の夜のステージでトップタイムなど)その活躍は、マクラーレンF1を率いるロン・デニスにも知られていたそうです。

 彼のプロドライバーのデビューはなんと28歳!幼いころからカートを楽しんできたレーシングドライバーが多い中、普通の車好きのツッパリだった彼は、21歳で富士フレッシュマンレース(人気のアマチュアレース)でレース活動を始めます。レース活動には多額のお金がかかりますが、彼は3つの仕事を掛け持ちし、当時は週休1日の日曜日をほとんど寝ずに目を真っ赤にしながら、自分で作った車でレースを続けていたそうです。ある時、お金が続かなくなりスタンドからレースを眺めていると、フレッシュマンレースの強豪チームから声を掛けられ、エンジン提供を受けていきなり入賞を果たします。その活躍が認められ、強豪チームに所属してフレッシュマンレースで活躍を続けます。そして、彼の代名詞ともいえる86(トヨタ・レビン、トレノ:型式AE86)によるレースで開幕6連勝を果たし、ついに、横浜タイヤのスポンサードを受け、プロドライバーの仲間入りを果たします。

 土屋圭市選手は、その走りのスタイルでファンを魅了します。レースでは遅いといわれるドリフトを取り入れ、非力なRX-7でハイパワーのスカイラインを追い回し、時には追い越すこともありました。メーカー所属(トヨタやニッサン、ホンダなど)となるドライバーが多い中、歯に衣を着せぬものいいから、メーカー色のない稀有なドライバーでした。彼は、メーカーにいい顔をせず、ユーザーに向き合っていたことから、ファンから愛されたドライバーであり、箱車のトップカテゴリーである、グループAやGT選手権で何度も優勝を果たすなど、実力も一流のトップドライバーです。さらに、彼は積極的にマスコミ出て行き、レースファンを増やしただけでなく、単なる峠の走り屋だった若者を、ドリフトのプロとして生活できるよにするべく、ドリフト競技を構築し、後進を育てる活動にも力を入れています。

今や、ドリフト競技は世界中にファンがいます

最後に

 いかがだったでしょうか?レーシングドライバーの生き様を見ると、その車に対するパッションの強さを感じずにはいられません。アイルトン・セナもモチベーションの源の一つについてインタビューで「スピードへの愛」と答えています。レースに興味のない一般の方からすると、レーサーとは、その華やかさや派手さから単に粋がった若者の遊び…、などとネガティブに見られがちですが、その舞台裏では地道な努力や壮絶な苦労をしながらのし上がったドライバーもいるのです。多額の借金を抱えるなどのリスクを背負い、夢に向かってがむしゃらに生きている彼ら若者の姿は実に美しいものです。

 土屋圭市選手については、まだまだお伝えしたいエピソードが沢山あります。彼について詳しく知りたい方は、以下をご覧下さい。


THE DRIFT KING ドリフトキング 土屋圭市風雲録

土屋圭市―ドリキン伝説
モバイルバージョンを終了